今日は上田へ

3連休最終日は、上田へ電車の旅です。

長野駅から篠ノ井駅まではJR信越線、篠ノ井駅から上田駅までは しなの鉄道です。乗り入れているので、乗っていればそのままJRからしなの鉄道になります(もともと信越線だし)。

きれいですが、結構古いタイプの車両でした。東海道線で乗ったことがあるような気がする。

車両は、懐かしい東海道線みたいなやつでした。でも、ドアは駅によってはちょろっとだけ開いて、あとは手でぐっと開けるものでした。JR奈良線はボタンを押せば自動で開くものでしたが、それとも違う。。これは初めてでした。

 

さて、上田ですが、行先は上田城です。といっても、残っているのは門と櫓だけだけど。

門は東虎口櫓門。この左右に南櫓と北櫓があります(北は写真に写ってない)

左側に写っているのが真田石と呼ばれている大きな石。石は、近くの太郎山のものだそうです。

 

この門をくぐったところに真田神社が作られていますが、これは徳川の攻撃を2回も撃退した「不落城」にあやかって、受験生に人気な神社だそうです。

手水場は、お花で飾れていてとてもきれい。不落ということで、絵馬がたくさんです。トンネルのようにくぐりながら見せてもらえます。拝殿は、鈴を鳴らすのに綱を触るのはコロナの頃に辞めたようで、賽銭箱の上にあるスイッチをタッチして鳴らします!風鈴のトンネルもあって涼しげでした。


面白いのは、願い玉。800円納めて願い玉をいただいて、名前とか願い事を書いて、神殿(入れない)の横の穴を入れると、神殿を通って別の穴に帰ってくる、という仕組み。一応、願い事を書いてやってみました。

これ、願い玉。ペンは貸してくれます。

あとは、櫓の中に入り、櫓の作りをみたり、ボランティアさんに説明してもらったり。勉強になりました。

上田城は、真田昌幸NHK真田丸では草刈正雄)が築城したそうですが、そのときは石垣ではなくて土塁だけだったみたいです。関ヶ原で昌幸と信繁(堺雅人)が西軍について負けてしまったから、東軍についた信之(大泉洋)に上田城は与えられるのだけれど、上田城攻めを二度失敗した徳川に遠慮して、信之は城ではなく、近くに居館を作ってそこで藩を治めました。その場所が、今は県立上田高校になっています。

お城は、信之が松代藩に異動してから上田城に入った仙石氏が石垣を含めて整えたようです。石垣には大きな石も入っていました。真田石と書いてあったけれど、真田は関係ないそうで。

城址公園には博物館もあり、上田城主(真田、仙石、松平)の甲冑や刀や、手紙など、いろいろ飾られていました。また、いまどきな映像も作られていて、それも見られました。なんでも動画で見るとわかりやすくて助かります。日本史、高校まで学んだのですが、全然知識として生きてなくて、情けなし。

狭間から矢を放ちます。窓は、棒や鉄砲で持ち上げて開きます。門の上では、通ろうとした敵に石で攻撃するための穴もあります。金箔が付いた瓦も見つかっているそうで、秀吉の影響のようです。なので、しゃちほこに金を施したものを復元したい!という動きもあるそうです。

今日はとても暑かったのですが、それでも、信之の居館跡である上田高校の前まで行きました。

道の途中には、真田や真田十勇士の説明板や人形があって、盛り上げてます。

信之の居館跡は、堀も残ってるし、土塁も残っているし、なかなかな文化財でした。高校なので、中には入れませんが。

こんな感じの高校、かっこいいですよね。でも学生は嫌かもね。門が狭い。

ここをみてから、旧北国街道の昔ながらの町並みが残る柳町へ。格子造りの窓もかっこいいです。酒屋さんに行きましたが、試飲はできず。でも飲みたかったのでクラフトビールを買って表で飲みました。暑かったのでビールは軽く飲めちゃいました。

水かけ地蔵さんにお水をかけ、水琴窟できれいな音を聞きます。通りのあちこちに蓮の鉢が置かれていて素敵でした。我々はクラフトビールを頂きました。

酒屋さん、素敵なところでした。有料でいいから試飲やってくれたらいいのになー。重たいから買って帰るのは嫌なんだよね。

お昼は、お蕎麦がいいのかなとも思いましたが、おなかが空いてしまったので手前のほうにあったお店に入り、卵とじのかつ丼を食べました。この辺でかつ丼というとソースカツ丼のほうが当たり前っぽいので、卵とじって書いてあるのだと思いました。おいしかったです。

お昼は森文というお店でお昼。

また、この町には「保命水」というのがありました。井戸かと思ったら、上田初の水道だそうです。今の暑さ、保命水っていうのがとてもしっくりきます。

保命水の水場。そして近くにあった飾り?にはネズミのお相撲さんが。あちこちにあって、多分十二支のお相撲さんです。

この後、常田館製糸場という、明治時代創業の製糸工場(今は別の事業をやっておられる)を見に行きました。

茶色い建物が、県内で一番古い鉄筋の建物です。桑の木は、上皇さまと上皇后さまが干渉された桑の木が、とっても緑で艶々でした。猫の耳のついた瓦は、蚕の繭や蛹をかじるネズミを駆逐する猫を大事にすることの現れだそうです。繭の保管庫は、大事なものを保管するので扉は4重!昭和初期のエレベータもあって、大事な産業だったとよくわかります。

明治から大正にかけて作られた鉄筋コンクリートの建物は、県内で一番古いとか。上皇后さまとその前の皇后さまはこちらの製糸工場に来られているし、今、皇后さまが育てておられる繭は、ここゆかりの蚕らしいです。

昭和初期のエレベータもあったし、なかなか当時は先端だったみたいです。我々が見学できたのは繭の倉庫と選別所のみでしたが、繰糸場もありました。また操業していたときは、鉄道も引き込み線が来ていたとのこと。一大産業だったのです。

 

しかし今日は暑かった!

暑さのあまり、長野駅でソフトクリーム食べようと思ったのですが、あてにしていたところがソフトクリームをやめていたし、他の店も混んでて断念。コンビニでソフトクリームに似たアイスを買って、食べながら帰ってきました。お行儀悪くてすみません。