祝!世界遺産登録決定(百舌鳥・古市古墳群)で堺再訪

昨日、世界遺産委員会で登録が正式決定した、というニュースがあったので、さっそく仁徳天皇陵へ。古墳正面の拝所で、「おめでとう!」と拝んできました。ついでに観光案内所で、もずふるカードのコンプリートカードをもらいました。

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もずふるカード60枚全部を集めたので、コンプリートカード2枚をゲット!

 

 

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仁徳天皇陵のそばにある模型。天皇陵の周辺にたくさんの陪塚があることがわかる。

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仁徳天皇陵(大山古墳)

昨日からお向かいの堺市博物館で百舌鳥古市古墳群の特集をしているというので、行ってみました。

作られた順に、出土した埴輪や土器・須恵器・鉄製品が展示されていました。土器と須恵器では焼く温度が全く異なる(須恵器は野焼きでは無理な1000℃以上で焼かれ、かなりの技術が必要)けれど、土器よりも直火に弱い、とか、知らなかった。

レプリカの鉄の武具(兜と鎧、レプリカは鉄ではない金属)を身に着けて記念写真も撮れました。

博物館も、たくさんの人が来てました。さすが、世界遺産登録決定の効果ですね。

堺に来ることももうないかもしれないので、あとは観光。

堺といえば、室町時代の交易での戦国武将への武器(火縄銃)供給、武士に流行った茶の湯の文化。千利休は堺の生まれで、茶道を武野紹鷗と北向道陳に学んで、このお寺で禅の修行をし、織田信長豊臣秀吉に茶頭として仕えたけれど、最後には秀吉の怒りを買って切腹させられてしまいます。

南宗寺では、ボランティアガイドさんがいろんなお話をしてくれました。境内は写真撮影不可でした。

・このお寺には、千家一門の墓がある(裏千家表千家、武者小路家が並んでいるのは、このお墓と、さかい利晶の杜に並んでいる三千家家元命名の茶室だけ、だとか)。

徳川家康大阪冬の陣で、真田幸村に追われて道明寺あたりをかごにのって逃げてるときに、後藤又兵衛にやりでかごの上から刺されたが、堺まで逃げてから確認してい観たら死んでいた(その後は影武者でごまかしていた)という説があるそうです。そして、南宗寺に葬られた、と。

ちゃんとしたお墓ではなかったために、水戸藩の家臣の末裔が発起人となって、松下幸之助さんらの寄付で立派なお墓が後で作られました。

この水戸藩の家臣の末裔は三木さんという方なのだけれど、松下幸之助が二股ソケットを発明して量産したいと思ったときにお金を出してくれた方だそうです。その御恩返しに幸之助さんがこの寄付をした、と。

さらに、ナショナルの提供での長寿番組のドラマがあったけれど、あれが「水戸黄門」なのも、別の恩返しだとか。

・方丈の庭は枯山水。白い砂がとても素敵。

・方丈の隣に実相庵という茶室があります。中は見ることができませんが、畳2畳と炉だけのようでした。利休遺愛の手水鉢、紹鷗遺愛の六地蔵石灯籠がありました。石灯籠はかなり傷んでいて、裏側にあるお地蔵さんだけ、顔部分のレリーフがわかる、という感じ。

・仏殿には釈迦如来。天井に、八方にらみの龍。自分がどこに動いても龍と目が合ってちょっと怖い絵です。

・禅堂は、明治時代のもの。今でこそ常に修行している方はいないそうですが、中を見るとずらっとたたまれた布団と座布団が並んでます。時々、一般向けの座禅の会が行われているそうです。

・今の松元白鸚さんが染五郎だったころ、栗原小巻さんと共演した大河ドラマ黄金の日日」のロケ地だったそうで、堺は第1次ブームになったそうです。第2次は「利休にたずねよ」。 

南宗寺をゆっくり見た後は、お昼を途中で食べ、さかい利晶の杜へ。そのすぐ向いに利休の生家跡がありました。といっても、残っているのは井戸のみ。つくばいが設けてありますが、それはその井戸と同じ地下水をモーターで組み上げて水を出しているそうです。ここにもボランティアさんがいて、説明をしてくだいました。

 

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屋根は、大徳寺の金毛閣修理のときに不要になった瓦を利用して付けられたそうです。

さかい利晶の杜では、利休のことと、与謝野晶子のことを勉強できます。与謝野晶子の、「海恋し 潮の遠鳴り数えつつ 少女となりし 父母の家」の海は、堺の海だったと初めて知りました。

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与謝野晶子の生家はお菓子屋さん。もう今はありません。

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展示物の下に端末があり、詳しいことは端末で見られるようにしてあります。



四年前にできた施設なのでとてもきれい。教えてもらいながらのお茶は予約しないとできませんが、立礼ならば予約なしで大丈夫、とのことで、我々は立礼席へ。

この立礼席は、武者小路家、裏千家表千家が順番に担当されるそうですが、今回は表千家のお席でした。これがなかなか、先生のお話が興味深くてよかったです。お茶碗も、お客さんそれぞれにいろいろ違っていて、もっと近くで見たかった。

お軸の、「竹に上下の節在り」の竹の字がとても味があります。この言葉には対句があり、「松に古今の色なし」だそうです。

ネットで意味を調べると、上下関係はあるので区別はあるけれど、区別はあっても平等なのだから、本来の姿をそのまま認めることが円満なのだよ、ということらしい。男女の違いはあっても、男女は平等だ、みたいな。

先生のお話は、千家が利休が切腹となってからどう盛り返してきたかを語ってくださって面白かったのですが、途中で時間切れ。またの機会にまた伺いたいです。

 

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竹在上下節、紫野大真 筆

 

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堺の和菓子屋さんのお菓子。七夕らしく、金粉入り!

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七夕柄のお茶碗。素敵です。

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パパには金ぴかなお茶碗で供されました。秀吉っぽい。




 

利晶の杜の近くに、与謝野晶子の生家の跡がありました。跡、だけです。

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路面電車が走る大通りにあります。

そのまた近くに、ザビエル公園。私の母校の大学は、ザビエルさんがイエズス会に「日本の首都に大学を」と進言したことからできた、ということらしいので、名前を聞いてちょっと行ってみようかということに。

蘇鉄(もしかしたらフェニックスかも)が伸びて、なんとも南蛮っぽい感じ。公園内に、ザビエルが堺に来た時に屋敷に受け入れたという日比屋了慶さんの屋敷の跡地だという碑もありました。

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青い空に映える!

 

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ザビエル碑

 

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鉄砲碑

この後、堺市役所の21階の展望ロビーへ。古墳を上から見てみよう、ということなのですが、上から見ても古墳の形はまったくわかりません。形がわかるように眺めるには、ヘリかドローンしかないのでしょうか。

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仁徳天皇陵。その右後ろは履中天皇陵。形はまったくわかりません。

市役所近くの堺東駅から帰りましたが、この日の歩数は18000歩。百舌鳥駅からここまで、よく歩きました。