藤原宮関連の遺跡の現地説明会に行きました

昨日は、曇のち晴れ、という好天でした。奈良新聞に先週、遺跡発掘で発見あり、と3つの記事が続けて報じられており、最後には、日曜はそれらで説明会をするので、この機会に藤原宮に思いを馳せては?みたいな書き方をされていました。なので、行ってみました。電車で近鉄畝傍御陵前駅で降り、3つ回ってJRの畝傍駅から乗車して帰りました。歩数は約17,000歩。

<四条遺跡>

県立医大のグランド。3年間の調査の最終年だそうです。今回、藤原京、古墳、弥生時代の遺構が見つかりました。

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藤原宮(694~710)時代の土器

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古墳(6c初め)の円筒埴輪、馬の埴輪(頭だけ)

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弥生時代(BC2c頃)の土器。飾りがないのは弥生時代でも遅い時代のもの。

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現場。下に降りて、近いところから見られたのがよかった!

上の写真の右奥が、古墳。円墳に作り出しが付いています。手前側が作り出し。溝で形が分かります。わかりやすい写真も掲示されていました。 

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分かりやすい!

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実は以前の調査で、このあたりには古墳がたくさんあることがわかっており、今回(色のついた部分)は14個め。

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すごくびっくり。藤原宮時代の井戸。おそらく宮仕えした役人の家のもの。四角く削られた井戸枠が珍しいそうです。小ぶり。

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こちらは弥生時代の井戸。水が今でも湧いていて、いい井戸のようです。

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5C初の穴。土器が出たままの形で展示。(説明を聞かないと、高杯が混じっていたり、実用的でない小さい壷ばかりだということに気づかない自分が悲しい。)実用的でない、ということで、祭祀用のものでは?とのこと。

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説明はこんなふうに、橿原考古学研究所の方がしてくれる。わかりやすい!

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移動中に見かけた、古墳の説明板。鳥が飛ぶ様子を模した飾りが古墳の周りにあったとか?!妄想??



<藤原京期の邸宅跡>

四条遺跡からほど近いところ、ここも県立医大のグランド。

藤原宮も、碁盤の目のような道で土地を区切っていたのですが、その道幅が17mくらいだ、ということが分かるのと、その道から60メートルくらいのところを真ん中にして、3つの建物の跡(柱)があります。役職にある貴族は、位に応じて碁盤の目を1つ~4つ(たとえば、長屋王平城宮だけど4区画をもらっていた)もらって屋敷をたてたそうです。ここの遺跡の場合、道から60m(大路と大路の間は133メートルくらいだそうです)のところに建物の真ん中が来ているので、1区画をもらって住んでた貴族、となり、日本書紀の記述から、5位以下だったのだろう、とわかるそうです。説明を聞かないと、こんなことは絶対にわからないですねー。

 

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資料は掲示板のようなものに貼られていて、見やすい。

そして、ここにも弥生時代の遺跡が出ました。人為的に堀を作って、環濠集落をつくっていたようです。弥生時代の土器も出ており、装飾がされていることから、初期の遺跡、というように判断されるようです。そして、その堀の近くに、石包丁やそのつくりかけが多数でているので、石包丁制作集団がそこにいたのだろう、という推測もできるとか。

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指で差した部分に、ぽちぽちと小さいくぼみで飾られています。口にもギザギザ飾り。これが弥生時代でも初期だろうという特徴だそうです。

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畝傍山流紋岩。石が取れるから、このあたりで石包丁を作っていたのでしょうね。

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持ち手つきの土師器

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奥から手前に続く溝が、弥生時代の環濠のひとつ。

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掘立塀の小さい柱跡の並びに、この柱の跡、ということで、門ではないかとの推測。

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真ん中の建物跡の柱跡には、根巻石(柱の周りを囲んで支える)あり、礎石なし(=瓦ふきではなく板葺きで軽かったのだろうとの推測)

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真ん中の建物の後ろに、小さめの建物。まだこちらの奥もこれから掘るようなので、何か出るかも?

<藤原宮 大極殿の東側>

四条町の邸宅跡の現場から約1時間歩いて、藤原宮へ。昔の人は出勤も大変だったろうなあと思いつつ移動しました。1時半の説明会に間に合いました。

ここの説明で、建物を建てるときは、溝を掘って目印にした、と知りました。

また、四条遺跡もそうでしたが、大きめの溝を作って、建築資材の運搬に使ったりもしたようです。そういった溝は藤原宮建築時には埋め戻しています。

今回の発掘は、何もでないだろうなあ、という感じでされたようですが、予想に反して北に延びる回廊が途中で分岐していて、大極殿院を南北に区切っていた、ということがわかったそうです。それは、難波宮とも共通するそうです。

。。。正直、3か所めで、暑いし、おなかは空いてたし、説明を集中して聞けず、申し訳ない。

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溝がたくさん掘られています。ピンクのテープは東西に延びる回廊の柱の線。青はそれ以前(一時的か?)の掘立柱の線。

 

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溝の断面が見えます。写真ではわかりにくいけれど、溝(わざと掘られていない)が埋まっている部分は土の色が違いました。こうやってみつけていくのだなあと思いました。

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上の絵が回廊の予想図。複路。左下図の赤い部分が今回の発掘部分。右下の図は、難波宮の図。この部分、似てるよね。

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説明時に彫り出された軒丸瓦。結構いい状態です。

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基壇などの表面に装飾のために貼り付けたとみられる、兵庫県の竜山石。流紋岩だけれど、固い白い石です。

…以上が今回の見学メモです。

せっかく藤原宮跡に来たので、コスモスを見て帰りました。

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藤原宮跡では、柱はこんな風に復元されて置かれています。遠くに見えるのは畝傍山

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奥に見えるのは香久山。